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MIKI SAWADA澤田美喜女史について

澤田美喜女史について

澤田美喜女史は明治34年(1901年)9月19日に東京の本郷に生まれました。
父は三菱の創始・岩崎彌太郎の長男・久彌で、兄3人の後初めての女の子として生まれました。
誕生当時、父・久彌はヨーロッパに外遊中で、彼女の名付け親は叔父の彌之助で、曾祖母・美和の一字と祖父・彌太郎の妻・喜勢の一字を取り、美喜と命名しました。
美喜女史の生まれた年は西暦1901年9月19日で、1と9しかなく数奇な運命を辿ると言われました。
財閥の令嬢として生まれ、エリザベス・サンダース・ホームの子どもたちのために奔走した美喜女史の一生は確かに数奇な運命とも言えますが、彼女は自分の持つ全ての情熱を、子どもたちの育成に捧げたのでした。
美喜女史は、エリザベス・サンダース・ホームを設立した後、昭和28年(1953年)ホームの子ども達が安心して通えるための学校・聖ステパノ学園を設立しました。
さらに、美喜女史亡き後、昭和62年(1987年) 彼女の遺志を受け継いで隠れキリシタン遺物を展示する澤田美喜記念館が設立され、翌年から一般公開されました。
記念館は、今新たに隠れキリシタン遺物の展示に加え生前の澤田美喜女史の偉業を学ぶ記念館へとリニューアルオープンいたします。

澤田美喜女史の執務室
『ママちゃまハウス』

澤田美喜女史は、設立当時のエリザベス・サンダース・ホームの子どもたちから親しみを込めて『ママちゃま』と呼ばれていました。
このママちゃまハウスは、美喜女史の執務室でしたが、ホームの園長として仕事は多忙を極めました。
美喜女史はこのママちゃまハウスでホームの子どもたちのお世話からはじまり、毎日の生活費や子どもの将来に向けた資金集めに奔走しました。
国内はもとより海外の知人を頼って5,000通にもおよぶ募金をお願いする手紙を書き、ホームの窮状を広く訴えました。

ママちゃまハウス